2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。 | ||||||||||||||||
川崎医科大学 同窓会報 教室紹介 |
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2006年11月 | ||||||||||||||||
衛生学教室 教授 大槻剛巳 同窓会創立30周年,おめでとうございます。 教室の紹介を。ということで,まずは沿革の概略を記させていただきます。 初代教授には,岡山大学医学部を御卒業の後,同大衛生学教室で助教授までお務めになられ,損後ニューヨーク大学医学部産業医学研究所,帰国後には岡山大学衛生学教室をはさんで放射線医学総合研究所障害臨床研究部臨床第三研究室長をなさっておられました望月義夫先生がご赴任になられました。また,1975年度には,中村文雄先生が助教授として川崎病院から来られました。残念ながら,諸事情により中村先生は僅か一年ばかりのご在籍でしたが,その後,1983年度からは,植木絢子先生が助教授で来られました。 望月先生は,1989年まで教授としてご活躍になられましたが,その間も,川崎医科大学副学長,川崎医科大学医療短期大学学長を兼任され,1989年度は川崎医科大学学長とも兼任されるというご多忙な状況でございました。望月先生は,1990年からは学長職に専念なさいました後,再び,短大学長の任も担われていらっしゃいます。 1990年度からは,植木絢子先生が2代目教授としてご昇任されました。植木教授は,2001年度まで,教室の発展に,そして今も教室の大きな研究テーマであります「環境中物質による自己寛容破綻の解析」という課題の検討にご尽力された後,2003年度からは,川崎医科大学医療福祉大学教授として,現在も,教育と研究にご活躍です。 さて,私たちが1999年に同門会誌を作成しました折に,短期大学で学長をなさってらした望月初代教授よりご寄稿を頂き,特に,衛生学教室が出来たばかりの頃の様子を記していただきました。ここにまず,その内容を転載させていただこうと思います。 衛生学教室事始 同門会誌(1999年)によせて, 望月 義夫 昭和47年4月1日、私が川崎医科大学に衛生学教授として着任した時は、まだ大学の校舎棟も附属病院などの入る本館棟も建設中であり、医科大学の校舎、教員研究室、事務室などは、現在の川崎医療短期大学の校舎にあり、また学生寮も松島から生坂に完成した学生寮に移転した直後でありました。 着任当日、先ずお会いしたのが(故)松本副学長で、その案内で(故)川崎祐宣理事長から辞令を頂き、川崎医科大学の新しい教育理念や、教育が最優先である旨のお話を承りました。 また松本副学長からは、これからの教室の構築などについて、色々親切なアドバイスを受けました。その際教室の人事については、既に予定されていた難波(佐藤)美子、伊藤恭子の両技術員に加えて、私を助けて教室づくりや教育を手伝ってくれる助手が直ぐにも必要ということで、松本副学長の推薦で菊池和子助手が、寄生虫学教室から衛生学教室に来てくれました。 先ず教育優先で、講義の準備と実習に必要な機器類の整備に取り掛かりましたが、実際に進みだしたのは、昭和47年に医大校舎棟が完成し、同年8月から10月初めにかけての移転が完了してからであります。衛生学教室に割り当てられた校舎棟6階の実習準備室は狭く、購入した実習機器の置き場にも苦慮しました。また購入機器が期待した性能を発揮しない場合もあり、西林氏など法人事務局には大変お世話になりました。 衛生学の講義は昭和48年、一期生が4年生の時に環境保健を中心に始めました。当時の学生諸君は夫々個性豊かで意欲があり、講義の際にも緊張感があって、大変楽しい思い出であります。また当初の実習は照度、騒音、粉塵、放射線など専ら物理的環境測定を中心に行い、化学的環境測定は検知管測定のみで、その他は実習室、人手などの制約もあり除きました。 昭和48年秋に医科大学研究棟、附属病院などを含む本館棟が完成し、各教室にパイロットスタディ実験室が割り当てられて、教室の研究体制の整備、充実もやっと軌道に乗り出しました。 また当時、医科大学全体の組織づくりと充実が進むなかで、教員間の交流も活発で、例えば昼休みには、本館棟5階の中央秘書室前ロビーに村上先生、福原先生、山崎先生、長花先生、三上先生、野田先生(何れも故人)など大学時代の恩師や大先輩が集まられて、医学教育論や学問の話などが展開され、また色々お教えも頂きました。 このように開学初期は、まだ完成途上で何かと不足勝にもかかわらず、教員も職員も学生も一致して、我々の手で全国に例を見ない新しい医科大学を作り上げようと、意欲に燃えておりました。 以上、川崎医科大学および衛生学教室開設当初を知る者として、当時を思い出すままに述べてみました。 今日の衛生学教室、川崎医科大学そして川崎学園は大きく発展しました。創設当時を思い出して感無量であります。川崎医科大学衛生学教室が植木絢子教授のもと教室員の皆さんが力を合わせて、これから21世紀に向かって、さらに大きく医学教育に、研究に貢献されるよう心から祈っております。 どうでしょうか? 初期の同窓生の皆様には,懐かしい先生方のお名前も登場しているような文章ではないでしょうか? 1982年には,衛生学教室に 木本哲夫先生が教授でいらっしゃいました実験病理学教室より植木絢子先生が助教授でご就任されました。そして1990年より教授にご昇任されました。講師としては,1988年には,金沢大学医学部公衆衛生学教室の大学院生だった田畑正司として1年間,1990年から3年間は,同窓生でいらっしゃる津島弘文先生が宮崎大学生理学教室助教授から移動されて任に当たられました。津島先生は微生物の産生する酵素系に関するお仕事を精力的にこなされていました。研究熱心で沢山の論文を書かれましたが、広島県の御尊父の医院の後継者として帰省されました。同時期,1991年から2005年まで兵藤文則先生が講師をされ,学生教育にも非常に熱心に情熱を傾けられました。1990年以降入学の同窓生の皆様には小グループやチュートリアルで触れ合われた方も多いと思います。兵藤先生は,2006年よりは川崎医療短期大学第一看護科教授としてご活躍です。 大学院生としても同窓生の方々は私どもの教室の発展に貢献してくださいました。絹川敬吾先生(泌尿器科より来られました。また1994年から2年間は衛生学で講師もされました),山口雅英先生(皮膚科),渡邊佳樹先生(腎臓内科),松木孝和先生(泌尿器科),愛甲隆昭(皮膚科)が,活躍され,現在は皮膚科より林宏明先生が来てくださっています。私どもの教室に来られる大学院生の皆様は本当に優秀で,植木教授がいつも讃賞されるばかりでした。 今回は,植木教授が退任される際に教室で集まった際の写真を紹介させていただいております。同窓生の皆様にも懐かしい姿もあるのではと想っております。 今後とも衛生学教室をよろしくお願いします。時々刻々の変化は教室のHPに随時アップしてぽります。 |
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衛生学WEB,ご笑覧ください。同窓生の皆様が,今後とも,益々ご健勝で,それぞれのお立場で,ご活躍されることを祈念しております。 |